神無月の日々

秋風に肌寒さを感じるようになった10月の日々。まるで夜の森の中で焚き火をしているかのように、穏やかで静かでありつつ心の中では決意と覚悟という名の炎が辺りを照らしてくれている。

 

10月になると、全国津々浦々の神々が会議のため出雲国にあつまると言われており、全国的には神が不在という意味で「神無月」と呼ばれるようになったらしい。これに対し、神々があつまる出雲では10月を「神在月」と呼ぶのだとか。

今の時期に八百万の神々が集まって会議をするなど、どう考えても「密」である。いくら神様といえど、コロナウイルスの影響で今年の会議は中止、もしくは定員数を制限せざるを得ない状況なのだろうか。

最近では打ち合わせや会議をする場合、リモート会議という手段を使うことが増えた。しかし、もし神々が我々人間の運勢を決めるであろう重大な会議をリモートで手軽にやっていたとしたら何となくショックである。

起き抜けであくびをしながら参加する神様。

画面に映る上半身だけはお洒落をして、下はジャージの神様。

ネットで拾ってきた後光っぽい画像を背景に設定して部屋の生活感を誤魔化す神様。

 

そんなことを考えていたら、今の時代の神様はきっとそこら中にいて、僕らと一緒に生活しているんじゃないかと思えてきた。

今日も街のどこかで、僕らの運命を左右するであろう神様が人間の姿で普通の暮らしをしている。

もしかしたら、もう出会っているのかもしれない。

お賽銭箱に向かって夢を語るよりも、日々の暮らしで出会う人々に自分の夢や素直な気持ちを語ろう。

きっとそのほうが、夢が叶うような気がする。

 

神様、ぼくはいつしか貴方を笑っていた

夏が秋に変わるように切なさをともなって

神様、ぼくはいつしか貴方を憎んでいた

秋が冬に変わるようになるべく目立たぬよう

神様、ぼくはいつしか貴方を探していた

冬が春に変わるように風を追いかけて

 

-「風の音」より

いしいひろき